【JICA海外協力隊員 任期終了時活動報告】 森田麻衣子さん ~ウガンダ農家への稲作技術普及の活動を終えて~

2024年2月8日
JICA海外協力隊員森田さんとウガンダの子供たち
JICA海外協力隊員森田さんとウガンダの子供たち

~ SAAウガンダ事務所では、例年JICA海外協力隊員(コミュニティ開発)の受け入れを行っています。今回、ルウェロ県ズィローブウェ(Luwero, Zirobwe)で2021年9月から活動していた森田麻衣子さんが、2年の活動を終えて帰国し、当時を振り返る活動報告を寄せてくださいました ~


2年間の活動を終え帰国
2023年の9月にJICA海外協力隊の稲作普及隊員として2年間の活動を終え日本に帰国しました。帰国から半年ほどが経ち、ウガンダで日焼けした肌は白く戻り、日本の便利な暮らしは当たり前になり、ウガンダではこうだったという発言も少なくなり、ウガンダとの距離が段々と遠くなるようで寂しい気持ちがあります。ただ今でも変わらず思い出されるのはウガンダで出会った優しい人々、駆け寄ってくる子どもたちの愛くるしい笑顔です。
ウガンダへ旅立った2021年はコロナ禍ということもあり、これから始まる全く想像のつかない未知なものに対して不安8割ワクワク2割という感じでした。そんな中で始まったウガンダでの活動はうまく形にならず悩んだ時期もありましたが、思い返せば楽しいという感情の方がほとんどで2年間が本当にあっという間でした。そんなウガンダでの2年間を振り返りたいと思います。

任地での生活
私の任地は首都カンパラから車で一時間半程北に上がった、ルウェロ県ズィローブウェ*という小さな町です。(*任地や配属先ついての詳細はこちらで述べているのでよろしければご覧ください。)任地に着任した当初はトタン屋根の家が暑くて眠れず、隙間だらけの家に侵入してくる様々な虫やネズミ、コウモリなどに怯える日々でした。家とは別の場所にある穴だけのトイレ。家の中に水道、排水溝がないため中庭の水道でのベイジング(水浴び) 。週に何回もある停電、断水。ごみ回収という行政サービスはありません。任地の道路はどれも舗装されておらず、家の前の道路は車やバイクが通るたびに土埃を上げ、家の中にあるものは全て土埃で茶色くなりました。日本とは大きく異なる環境は私にとってまるで異世界でした。しかしそれも時間とともに徐々に慣れていき、同僚や近所の人々と仲良くなり始めると任地での生活は私にとって非日常から日常になっていきました。穏やかな気質のウガンダの人々は親しみやすく、私にとっては居心地のいいものでした。

精米所での活動
赴任先はZAABTAという民間農業センターですが、活動は自分のペースで進めることが出来ました。ZAABTAは事務所の隣に精米所も保有しており、まずここで何かできないかと考えました。精米所には毎日代わる代わる農家が精米をしにやってくるので、まずは聞き取り調査を始めました。英語が話せる農家さんにはより詳細に聞き取りを、英語が話せない農家さんには現地語と英語を話せるスタッフにお願いして通訳してもらうなどして交流していきました。会話の中から、町から離れた村に住み、スマートフォンやパソコンを持たない彼らが入手できる情報は、非常に限られているということがわかり、JICAの稲作プロジェクトが発行している稲作の基礎が書かれているハンドブックを見せると食い入るように見ていました。本の中の情報も初耳だという農家が多いことから、お話した後にハンドブックを配るということをセットにして行うようにしました。それとは別に、精米所の裏にある元々はごみ処理場だった小さいスペースを利用して、効率よく稲作栽培、収穫が進められる条撒きの手法を用いた小さなデモ圃場を作り、農家が良く使うばら撒きの手法と比較してもらいその利点を伝えることを始めました。精米所は大勢の農家が精米に来るという利点があり、ハンドブック配布やミニデモ圃場を用いて、稲作の基礎的な情報を多くの農家に届けることが出来たのではないかと思っています。

農地での活動
活動当初は常に一緒に行動してくれるカウンターパートと呼べる人がおらず、歩いてのフィールド調査なども行っていましたが、活動に限界を感じていました。任地に来てから5か月程経ったころ、精米所のオペレーターをしていた職場の同僚がカウンターパートとして行動を共にしてくれるようになり、現地語と英語を話せて、農家とのネットワークも持ち、農業の知識もある彼の存在によって私の活動は大きく広がっていきました。とはいえ稲作栽培に関する知識、経験はお互い浅く、一からのスタートでした。

まずは農家に見てもらえるような稲作デモンストレーション圃場を作ろうということになり、ズィローブウェの中心地から近い場所で土地を探し、水草の生い茂ったフィールドの開墾から始めました。圃場を8等分にして畔を作り、どんな稲作品種がこの土地に合っているかを見るため何種類か栽培し、肥料や農薬を適切な分量使い、除草を行い、正条植えという手法を用い、近隣農家のお手本となるような圃場を目指して取り組み始めました。1エーカーという規模はデモ圃場としては大規模で、作業に人手やお金もかかり、圃場運営の大変さを味わいました。大雨で畔が半壊したり、水量のコントロールが出来ず生育不良になる箇所があったり、その度悔しい思いをしましたが、失敗は私達の学びと成長につながるからと励まし合いました。JICA稲作プロジェクトの研究所に伺い、圃場を見学させてもらったり、JICA専門家やローカルスタッフのアドバイスを聞いたりして、失敗しては改良を繰り返しました。そうして徐々にモデル圃場としての機能を果たしていくようになりました。そこから農家向けのワークショップを開催したり、種子貸付などを行うようになりました。そして共に活動してく中で、カウンターパートは稲作の農業普及員として、農家から相談を受ける頼もしい存在となっていました。

稲作栽培を始めて失敗から学び、積み重ねた経験が確実に実を結び、その技術、知識が農家へ伝えられている、その姿を横で見ていてとても嬉しかったです。私の離任後もZAABTAのサポートの元、カウンターパート主体で圃場運営が継続されています。デモ圃場が今後も進化し、周辺農家へ裨益する大切な場所となっていくこと、そしてカウンターパートが稲作を専門とする農業普及員として活躍してくれること期待しています。

終わりに
ウガンダでの生活は私にとっては未知で、初めは不安なことも多かったですが、ウガンダの爽やかな気候の中、朗らかで優しいウガンダの人々に心がほぐれ、慣れてくると田舎の祖父母の家にいるような懐かしさを感じるような安心感がありました。活動では、カウンターパートの持つ現地ネットワーク、農業の知識と、私の持つ外部者としてのアイデア、資金、専門家等の外部コネクション、それらを掛け合わせて、物事が進み、具体化していく過程が楽しく、充実した日々を送ることが出来ました。

派遣元であるSAAカンパラ事務所のスタッフの皆さんは悩みがあれば相談にのってくださり、解決するために動いてくれました。SAA本部日本人職員の皆さんもヒアリングをしてくださったり、気にかけてくださいました。そしてSAAからの資金協力のおかげで初期コストがかかるデモ圃場の運営を不安なく実施することが出来ました。心から感謝申し上げます。私はこの先、日本にいるかはたまた世界のどこかにいるか、それはわかりませんが、国際協力の一端をどのような形であれ担っていきたいと考えています。そしてまたいつかウガンダを訪れ、お世話になった人々に会いに行きたいと思っています。

森田さん赴任中の活動紹介記事(2022年4月21日掲載)

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