タンザニア

開始年:1988年

終了年:2004年

国別プログラム・ディレクター/コーディネーター:Dr. Marco Quinones(1988-1993); Dr. Abu-Michael Foster(1993-1998); Dr. Marco Quiñones(1999-2004)

 

歴史と主な活動:

タンザニアのSG2000プログラムは、タンザニア農業・畜産開発・協同組合省(スワヒリ語で農業を意味する「Kilimo」の名称で呼ばれている)と共同で開始されました。同省との共同事業であることから、本プログラムは「Kilimo/SG2000」あるいは「KSG2000」と呼ばれていました。同プログラムは、6つの州(アルーシャ、イリンガ、キリマンジャロ、マラ、ムベヤ、ルクワ)で事業を行いました。

栽培研修圃場 – KSG2000プログラムの特徴は、零細農家の支援・教育に栽培研修圃場(MTP: Management Training Plot)を利用したことです。MTPは、1つの広さが0.5ヘクタールで、この地域の農民の実際の農地とほぼ同じ大きさでした。1988年から1998年にかけて、零細農家が4万1,000カ所のMTPで栽培を行い、農務省の改良普及職員のうち約1,000人(全体の20%)が、推奨作物管理方法の研修を受けました。次にこの農務省職員が、約40万の零細農家の研修を行いました。研修は、直接参加農民1人と、進捗状況を詳しくモニタリングする近隣の農民10人からなるMTP「クラスター」ごとに行われました。農村の小学校もプログラムに組み込まれ、1991年までに、120校以上が敷地内にMTPを設置していました。

MTP全体うち、約3分の2がトウモロコシ用でした。MTPの平均トウモロコシ収量は4~5トン/ヘクタールでした(プログラムの開始当時、全国平均収量は約1.3トン/ヘクタール)。数千カ所のMTPでソルガム、キマメ、その他豆類が栽培され、これらもまた、伝統的な農法よりもはるかに高い収量を実現しました。

MTPプログラムは、最初の3年間で文句なしの成功を収めました。MTPの総数は急速に拡大し、1990/91年度には1万カ所を超えました。MTPに参加した農民は、推奨された投入資材の費用を全額まかなえる融資を受けました。最初の3年間は融資返済率が高く、この理由としては、農民の総数が管理可能な程度であったこと、また一般に、高地での降雨パターンが良好で、収量がきわめて高くなったことなどがあります。

SG2000のプログラムが拡大するにつれて、村の改良普及員が扱う金額が過大になり、融資を返済した債務者と未返済の債務者の記録を付けることが負担になっていると分かりました。また、返済期限を過ぎた貸付金の回収という不快な仕事のために、改良普及員と農民が良好な関係を築きにくくなっていました。1991/92年度には、MTPプログラムは6州で1万5,000カ所に拡大しましたが、この年は3年連続の渇水(1992~1994年)の1年目と重なっていました。

融資の不払いが憂慮すべき水準に達したことが1990/91年のシーズンには一部の地域で明白になり、1991/92年と1992/93年のシーズンにも悪化しました。これに対して、SG2000スタッフはMTPの数を削減するとともに、農民が費用の50%を前払いしたうえで、MTPの仕組みに参加できるのは最長で2年間とし(1つの技術につき)、その後は「卒業」させる制度を導入しました。農民の中には、3年目は投入資材の融資を受けられないと知り、2年目の融資を返済しないことに決めた者もいました。

ポストハーベスト処理 – 収量の上昇に伴い、KSG2000プログラムは、ポストハーベスト処理と貯蔵の改善に重点を置くようになりました。KSG2000は、現場改良普及スタッフを対象とした、農場と商業倉庫の両方における改良された穀物貯蔵法などの、推奨ポストハーベスト作業法の実地研修に対する資金援助も実施しました。伝統的な穀物貯蔵庫(大型の編みかご)を改良して、表面にセメントを塗り、台座に乗せて地面から離し、ネズミや害虫、カビによる損傷を防ぐようにしました。付属の乾燥場(通常約50㎡)の実証も行われました。

アルーシャ州では、1992年にTechnoServeと共同で、穀物在庫担保融資(「ワランタージュ」)のパイロットプロジェクトが導入されました。いくつかの地域で、農民組合と金融機関が連携し、組合が保管倉庫に保有する穀物を担保に、金融機関が融資を行いました。こうした在庫担保融資の返済は、通常、市場価格が高い収穫後3~6カ月の期間に穀物を売却して行われました。しかし、この在庫担保融資のパイロットプロジェクトは数年後に中止されました。これには主に2つの理由があります。1つは、SAA理事会では、過去に他のプロジェクト参加国で債務不履行の問題があったことから、SG2000国別プロジェクトが金融事業に関わることを望まなかったためです。もう1つの理由は、ニエレレ政権時代のウジャマー(強制的な集団農場化)の影響もあり、倉庫での集団作業は継続が難しいと分かったからです。農民には、自分の穀物を共同倉庫、特に政府職員が関与している施設に預けることに警戒感があったのです。

家畜けん引 – ツェツェバエのいない地域では、かなりの数の農民が牛を使って農地を耕しています。しかし、けん引動物の利用法は素朴なものです。畑をすくには通常2人で作業することが必要で、1人が牛を引き、もう1人がすきを操作します。1993年、SG2000ではこの状況の改善に着手し、改良された器具の導入と農民の研修によって、生産性の向上を目指しました。その後4年間で、SG2000は50カ所の家畜けん引センターを設立し、農民に耕うん法の改善を指導しました。各センターは簡単な小屋で、改良型のすきなどの器具が保管され、研修会が行われる際には、それらを牛が農地まで運びました。各研修会では、10人の農民とその牛が訓練を受け、合計で1,000人以上の農民が研修を受けました。こうした研修会では、SG2000が農民に、改良型のすきや草刈り機など、省力化のための器具を紹介することもできました。機器の配布は、他のNGO(主に教会グループ)や民間農業資材販売業者、国連食糧農業機関(FAO)が支援する「食料安全保障特別事業」を通じて行われました。農務省スタッフによって、農民に対し1人で耕うんする方法の研修が続けられました。

投入資材供給 – 1993/94年のシーズンまでに、SG2000はMTPに参加する農民に対する融資事業を終了しました。それに変わってSG2000では、農民が商取引を通して投入資材を確実に入手できるよう、「共同在庫保証制度」(JIGS: Joint Inventory Guarantee Scheme)という保証制度を創設しました。この制度は、肥料・種苗会社や投入資材販売業者(農村商店)と農家の日常的な商取引を発展させることで、できたばかりの投入資材供給市場を強化することを目指したものです。このプログラムのもとで、SG2000は登録した農村レベルの農業資材販売業者100社に融資保証を行い、大手の肥料卸売業者、つまり大手農業サービス協同組合であるタンザニア農業組合(TFA)や、Tanzanian Fertilizer Companyから肥料を仕入れる際に、代金の一部を買掛金にできるようにしました。SG2000はこれらの企業に対して、同農業資材販売業者へ出荷する肥料(通常、10トン程度)の代金の半分を保証しました。農業資材販売業者が最初の仕入れの代金を支払うと、SG2000は次の出荷分の代金の半分を保証しました。保証は最大で、登録農業資材販売業者1社あたり年間30トンまで適用されました。

このプログラムによって、肥料輸入業者とSG2000は、農村地域の零細企業の商才を試すリスクを分担しました。ピーク時には、登録農業資材販売業者から近隣農家への肥料販売量は、3,000トンを超えました。SG2000の保証は、最低でも2年間継続することになっていたため、零細農家への投入資材供給を開始、拡大するのに有効でした。仮説としては、供給業者と農業資材販売業者との良好な取引関係が数年間継続すれば、通常の信用取引関係を確立する基盤ができるだろう、と考えられていました。

最初の2年の事業期間中に、債務不履行のためにSG2000が保証した融資の立て替えをしなければならなくなったのは、わずか2件でした。しかしながら、1998年には、SG2000現場プログラムの終了にともない、JIGSが終了されました。JIGSが十分に発展するだけの時間があれば、その後も同プログラムを継続できていたのかと考えると、そこにも難しさがありました。SG2000の保証がなければ、債務不履行のリスクは確実に肥料供給業者の問題になりました。しかし、おそらくそれ以上に深刻であったのは、大手肥料輸入業者や卸売業者自身が資本不足のため、掛けで肥料を販売する資金を工面することが難しかったということです。残念ながら、これらの業者には、遠方の農村地域、あるいは市場全体に事業を拡大するための資本が不足していたのです。

SAFEプログラム – 笹川アフリカ農業普及教育基金(SAFE)プログラムは、1998年にソコイネ大学で立ち上げられました。SAFEソコイネ・プログラムは、2010年11月までに、合計500人の学生を対象に全12回実施されました。このプログラムは現在も同大学で継続され、2010年には登録学生数が700人を超えています。

KSG2000フェーズ2 – 1996年に、タンザニアのKSG2000プログラムはフェーズ2に入りました。フェーズ2では、農務省との間でより全面的な運営統合が行われました。またプログラムの焦点も、大規模な実証から、改良普及サービスの実施や零細農家に対するより一般的な支援に移り、SG2000の貢献は、技術支援に縮小されました。

初代のSG2000タンザニア担当ディレクターで1993年以来エチオピアに駐在していたDr. Marco Quinoñesが、1998年に再任され、SG2000タンザニア・プログラムを担当することになりました。現場プログラムの終了以降、Dr. Quiñonesは、政策顧問の役割に重点を移しました。2000年までに、農務省や世界銀行の職員と積極的に協力しつつ、零細農家を支援して劣化した土壌資源を回復し、農業生産性の成長を加速するためのプロジェクトを開発しました。

主な課題の1つは、タンザニアの開発計画の中で農業強化の優先順位をいかにして上げるか、ということでした。これがボーローグ博士と、当時のフレデリック・スマエ首相やその上級補佐官たちとの議論の土台となりました。当時の考えは、タンザニアは農業生産を強化できる可能性が非常に大きく、土壌肥沃度の向上や、必要な投入資材の供給、市場アクセスの改善に対する既存の政策上の阻害要因を取り除けば、農業は急速に発展する、というものでした。

SOFRAIPの整備 – 土壌肥沃度の問題への対応として、政府は「土壌肥沃度回復および農業強化プロジェクト」(SOFRAIP: Soil Fertility Recapitalization and Agricultural Intensification Project)を設立しました。SG2000は引き続き零細農家の生活改善支援に尽力し、SOFRAIPの技術面の中核は、タンザニア政府の要請に基づき、世界銀行の承認を得て、SG2000スタッフが開発しました。

SOFRAIPには、4年間で総額9,000万米ドル以上の予算が投入され、食糧不足の克服と貧困の減少に向けた政府の新たな決意の表れとなっていました。しかし、1998年の食糧輸入量は、推計でトウモロコシが70万トン、小麦が2万8,000トン、インゲンマメが2万2,000トンでした。1998/98年の作期の結果もまちまちでした。高地では豊作だったものの、低地では干ばつに見舞われ、タンザニア全体としては国内の需要をまかなうだけの食糧を生産できませんでした。政府は、雨不足の結果、将来の食糧確保の見通しを強く懸念していました。

PADEPの登場 – SOFRAIPは2002年半ばまでに本格的な事業を行う予定でしたが、同プロジェクトは「参加型農業開発・強化プロジェクト」(PADEP: Participatory Agricultural Development and Empowerment Project)に形を変え、2003年半ばに事業を開始しました。2002年に16の県がPADEP実施のパイロット地区に選定され、同年10月と11月に、植付け期に先立って改良普及スタッフと農民の集中的実地研修が実施されました。SG2000は、この研修活動の実施に積極的に参加しました。

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ムベヤのムシェウェからきたQPM栽培農民を支援するDr. Wayne Haag(元SAAアフリカ担当QPMコーディネーター)

この研修の一環として、高品質タンパク質トウモロコシ(QPM: Quality Protein Maize)品種とハイブリッドが導入されました。もう1つの特徴は、中国のウォーターハーべスティング(雨水利用栽培)や細流灌漑技術の導入でした。PADEPプロジェクトが世界銀行に承認されると、SG2000は、新しい作物生産代替技術のパイロット試験や、農民グループが選択した技術を効果的に実証するための現場監督支援など、PADEPプロジェクトでの活動を継続するよう依頼されました。

PADEPは、タンザニア本土の26県とザンジバル島で実施されました。プロジェクトの目的は、約840の村のおよそ50万の零細農家に支援を行うことでした。2002/03年の作期に、SG2000は引き続き土壌肥沃度回復技術の実証を行うとともに、QPMの実証栽培を開始しました。しかし2004年までに、SG2000による支援をより切実に必要としている地域が他にあることが明らかになり、タンザニア・プロジェクトは終了しました。

 

主な成果:

KSG2000プログラムは、MTPプログラムに参加した多くの農家のトウモロコシの収量に、大きな影響を与えました。当初MTPに参加した農民は、プログラムを卒業すると、投入資材の費用をすべて支払わなければならないという現実に直面し、支払いを行うために、投入資材の使用量を、代金が支払い可能で、なおかつ利益の出る水準に調整しました。実際、肥料の使用量は少なく、またその他の化学品の利用も低水準でした。農場レベルでの肥料の利用が制限されたのは、肥料を入手できないためではなく、政府補助金の廃止以降、コストが極端に多くなったためです。QPMの栽培面積は、プログラムの終了時点で5,000ヘクタールになっていました。

タンザニアのポストハーベスト・プログラムは地域の見本となり、エチオピアやマラウイ、ザンビアから改良普及スタッフが視察に訪れ、各種ポストハーベスト作業の実践的実施方法を学習しました。
KSG2000プログラムに関与した改良普及専門家は豊富な専門知識を獲得し、参加農民の信頼を得ました。また、多数の改良普及専門家が、ソコイネ大学で行われたSAFE研修によって能力を強化しました。同大学でのプログラムは、現在も続いています。

また、政府は、ボーローグ博士の提言にもかかわらず、費用効果の高い投入資材流通への改善に向けた、農業資材専門販売店の創設や農業資材販売業者のネットワークの構築に注力しませんでしたが、あまり支援もない中でも取り組みを継続した業者は、事業を大幅に成長させることに成功しました。民間農業資材販売業者のネットワークという考え方が定着し、現在は広く受け入れられています。

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