スーダン

開始年:1986年

終了年:1992年

国別プログラム・ディレクター/コーディネータ:Dr. Ignacio Narvaez (1986-88); Dr. Jose Antonio Valencia (1989-92)

 

歴史と主な活動:

スーダンは、1984年に深刻な飢饉に見舞われたサブサハラ・アフリカ諸国の1つです。アフリカ全体で、2,000万もの人々が飢餓に直面しました。スーダンだけでも数千人が死亡し、さらにはるかに多くの人々が家を捨てて食糧や水、避難所を求め、国境を越えて難民キャンプに集まりました。この災害から、飢えと貧困の削減に向けた、「笹川グローバル2000」の農業イニシアチブが生まれたのです。

SG2000スーダン・プログラムは1986年5月に開始され、当初の焦点は、灌漑農業地域と天水農業地域の両方で、夏期のソルガムとキビの生産量を拡大することに当てられていました。これは主として、新しい技術を実証する効果的なツールとして農場での栽培試験圃場(PTP: Production Test Plot)を利用して、現場改良普及専門家の訓練及び支援をする形で行われました。改良普及職員が何かしら具体的な知識や技術を手にし、それを提供する手段を持つようになると、職務を適切に果たすことができるようになり、その結果、プログラムに参加する農民からより強く信頼されるようになりました。

当初の計画では、半乾燥地帯におけるソルガムとキビの天水栽培の改善に重点が置かれることになっていました。しかし、従来の栽培法よりも大幅に優れた新技術がないこと、また、キリスト教徒の多い南部を含めて全国でイスラム法が施行された結果、再び内戦が始まったことが、こうした乾燥地域での取り組みの弊害となりました。一方、白ナイルや青ナイルの流域では、灌漑小麦生産の改良普及活動を行う計画が一部あったものの、当初はプロジェクトの重点課題とは判断されていませんでした。

しかし、スーダン西部・南部の天水農業地域における現場実証プログラムを実施するにあたり、技術上・治安上に上記のような問題があったため、計画の変更が必要になりました。さらに、ボーローグ博士がスーダンに派遣したメキシコ人科学者チームは、それまで全員が、スーダンの灌漑地域と生態学的によく似たメキシコ北西部の灌漑山岳地帯で活動しており、このメキシコ人科学者たちは灌漑小麦生産の世界的な専門家だったのです。当初、スーダンは小麦の生産量不足が深刻になっていましたが、1986/87年度のシーズンに設置された最初の灌漑小麦圃場では、提案された一連の推奨作業を実践することによって、小麦の収量が大幅に増加しました。1986年から1992年までに、ハルツーム地域で3,000人近くの農民がプログラムに参加しました。

スーダン最大の灌漑システムはゲジラにあり、そもそもはイギリスが、綿花生産のために1900年代初頭に開発したものです。ゲジラの灌漑地は徐々に拡大され、100万ヘクタールで灌漑が行われていました。土地は政府が所有し、ゲジラ委員会が、栽培する作物や栽培方法に関して大きな権限を持っていました。ゲジラの典型的な農民は、20ヘクタールの農地を耕作し、作物生産にトラクターやコンバインを使っていました。綿花が輪作の主要な作物でしたが、小麦やその他の作物も認められていました。ゲジラの農民は、先進国の基準からすれば決しては豊かとはいえないものの、アフリカの基準で見ればかなり裕福でした。このため、当初はSG2000の対象農民とは見なされていなかったのですが、南部や西部の天水農業地域で安全に活動できるときが来るまで、灌漑地域にSG2000の活動重点地域を移すことが決定されました。

1987/88年度に設置されたSG2000スーダンの小麦PTPでは、改良栽培パッケージを利用することで、灌漑地域における小麦の平均収量を2~3倍に向上できるという、確固たる証拠が示されました。このような高い収量を上げるには投入資材にコストがかかるため、農民は、投資を拡大する必要がありました(ただし50%以下の拡大)。それでも生産性の向上によって、農家の純収入は約87米ドル/ヘクタールから290米ドル/ヘクタールを超えるまでになりました。1989年の収穫では2種類の高収量小麦品種の種子を十分確保できたため、1990年には6万4,800ヘクタールで作付けが行われ、小麦の栽培面積は拡大し続けました。グローバル2000チームは、リン肥料を追加することで(当時は窒素肥料のみを使用)小麦の生産量が増加し、リン肥料の散布量1キロあたりの小麦増収量が、35キロになるということを、早期に発見しました。

高品質タンパク質トウモロコシ(QPM: Quality Protein Maize)もスーダンに導入されました。プログラムの終了時点で、QPMは2万5,000ヘクタールで栽培されていました。

1988年のSAA理事会で、SG2000スーダン・プログラムの終了が決定されましたが、翌1989年に再検討されました。このプログラムは、ハルツームの政府機関との間でさまざまな政治上・行政上の軋轢があったものの、ゲジラの灌漑地域や隣接する灌漑システムで小麦現場実証プログラムが急速に拡大し、目覚しい成果を達成しました。1988/89年度までに、数百カ所の実証場が整備され、農家の通常の収量の2倍から3倍の収量を実現しました。農民の実習公開には大勢が集まりました。SG2000スーダンの実証プログラムに対する反応が大きな要因となり、農務省は、灌漑地域に住む借地農民による小麦栽培を終了しないことを決定しました。

主な成果:

スーダンの小麦生産高は、1987年の15万7,000トンから1992年には83万8,000トンへと、5倍以上に増加しました。このような拡大を引き起こしたのは、SG2000スーダンと、それに協力した農務省の改良普及職員によって導入された生産性の改善です。この期間の全国の平均収量は、1ヘクタールあたり1.3トンから2.2トンに増加するという、すばらしい成果を上げました。当時の政府指導者は、国の小麦政策の転換が、SG2000スーダンによるものだと率直に認めています。また本プログラムは、改良普及職員が食糧生産に変化をもたらす触媒となる可能性があることも実証しました。

SG2000スーダンは大きく進展したものの、その他さまざまな要因の関与、とりわけ国内の政情不安、社会不安により、長期的な成功には限界がありました。同プログラムは1992年に終了しました。

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